2015年2月6日金曜日

日本代表、革新

先日の日本代表監督の解任に伴い、メディアでは様々な記事を目にする。一つ著しく目立つのが、選手らとファンを含む世論との間にあるギャップである。選手らからすれば、今回の監督解任は少し残念だったというような意見があるのかもしれない。一方で、世論としては監督解任を支持するのがより多いようである。ここで、アマチュアと区別したプロのサッカー選手の使命というものを再認識してみてはどうだろうか。まず異なる点が、プロの仕事には当然金銭が支払われ、それが代表クラスとなると国を背負ったり、子供たちに夢を与えたりという使命が課せられる。無論、オリンピック代表選手らの中には、アマチュア選手らの尊敬すべき貢献も国によっては見逃してはならないであろう。大まかにプロのサッカー選手の使命をここで言うならば、見る側を楽しませ満足させ希望を持たせる、ということであると信じたい。この視点から見れば、ある選手らがアギーレ前監督の元で楽しんでいたという事と、結果が見られず満足の言っていないファンや世論との間には何かしらの矛盾が生じていると見ても不思議ではないのではないであろうか。

前ザックジャパン並びに前アギーレジャパン、両者に共通していることは、ファンに期待を持たせてくれた事と、その期待が裏目に出てしまった事と見る方々もいるのかもしれない。ある一部の選手らはW杯優勝をメディアの前で目標として挙げた。これは、今までには中々なかったパフォーマンスであり心強い一面をもたらしてくれたであろう。しかし、現状は少しかけ離れ過ぎていたのかもしれない。もし、これがドイツやアルゼンチンのような強豪チームの選手らの発言であれば、現状に近い 言葉として受け止められたのかもしれない。ファンの方々の理想を想像すると、日本代表選手の沈黙を保ちながら黙々と勝利へと向かう姿勢が最も見たかったのかもしれない。

注目されている記事の中の一つは、今回の監督選定に当たった協会幹部らの処罰の不問であろう。表にはアギーレ監督の解任のみが処罰の対象となっており、ここに世論の不満というものが感じ取られるだろう。ある企業で言えば、幹部は当然のように処罰される等という意見も目にする。中には、協会は一般的な企業ではないという賛否両論もあるのかもしれない。ただ根本的に考えて、元が正されなければ、過ちはもう一度繰り返されると考えたほうが論理的であろう。このまま行けば、日本代表に革新という文字は薄れていくであろう。それは、ロシアW杯を見据えた上ではネガティブなことになるのかもしれない。もう一度、関係者の方々には初心に戻り、日本代表の存在意義というものを再確認して頂けることを祈りたい。

記事:Creative Football



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